豚丼物語 第一部 歴史編[4/4]
帯広の「食べ物史」調査へ
「豚丼はわが家の歴史の味でもあるんです」と語る阿部ウメさん
松竹梅が逆じゃないですか?豚丼専門店「ぱんちょう」では今でも不思議そうにメニューをのぞく人がいる。そのたびに創業者・阿部秀司さん(故人)の妻、ウメさんは「私の名前をとってお父さん(秀司さん)が梅を一番上にしてくれたんです」と説明してきた。
同店では肉の量に応じ、梅(1,050円)、竹(950円)、松(850円)の順。戦中、7人の子供を育てながら夫の留守を守ったウメさんをねぎらい、「母さん(ウメさん)には苦労かけたから」と梅を一番に決めた。3年前まで毎日店に出ていた「看板娘」のウメさんも今年で90歳。豚丼の事始めを知る人も少なくなった。
十勝の風土に基づき考案
帯広の食べ物史をまとめている工藤支部長
「帯広の食べ物史をまとめよう」-。西洋料理のシェフらで組織する全日本司厨士協会帯広支部(工藤一幸支部長)は昨年から、歴代の役員や古参会員に聞き取り調査を始めている。
帯広市内のレストランで開かれた第1回調査では、「世界一食堂」の岡部敏さん(76)、「田本食堂」の田本憲吾さん(74)=元帯広市長=、「はげ天」の矢野治夫さん(70)が出席。洋食の原点となった帯広のカフェ全盛期から、食堂の草創期、豚丼までと話題は尽きなかった。
北海道ホテルの総料理長を務める工藤支部長には、一つの疑問があった。「帯広にはなぜ、本格的な洋食メニューが普及しなかったのか」。同じ道内でも港町の函館、小樽には老舗の洋食レストランが今も営業している。根室ではフランス語で「薄切り肉」を意味する「エスカロップ」(バターライスにカツレツを乗せた洋食)が街の味になった。
工藤支部長は、「内陸の農耕文化が食べ物に、深く影響しているのでしょう。帯広でコックを目指した先輩たちは、十勝の風土に基づきながら、和洋折衷さまざまなメニューを考案し、生き残りを図った。豚丼はその代表例」と言う。
同支部は今後も調査を続け、1冊の「食べ物史」をまとめる。狙いは歴史を記録するだけではない。創業者の軌跡をたどりながら、十勝の食文化に根付き家庭の味になった「豚丼」に次ぐ、第二の名物を生み出そうという熱い思いがあるからだ。