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十勝の鍋は「豚」と共に?
登録日時:2019/11/30 13:20
[
豚丼ニュース
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-2019年11月30日十勝毎日新聞紙面より-
十勝原野開拓の先駆者・依田勉三(1853~1925年)=写真=が詠んだ「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」。開拓初期は生活が苦しく、食事は客人が豚の餌と勘違いするほどだった。晩成社幹部の渡辺勝が「おちぶれた極度か豚とひとつ鍋」(豚と同じ鍋の食事をする)と開拓の苦しさを嘆いた句を詠んだとき、勉三は前向きに「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだ。
この句にあるように、豚を持ち込んだのは晩成社で、4頭から飼育が始まった。豚肉を食べるようになったのは大正時代からと言われ、昭和に入ると養豚技術の進歩で豚肉の消費も進んだ。戦後、帯広市内の各食堂が「豚丼」を取り入れ始めたことから、帯広名物「豚丼」が徐々に広まり、家庭でもなじみのあるメニューになっていった。
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