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豚丼物語 第一部 歴史編[3/4] こうして“挑戦”が広がった
1959年(昭和34年)、新装開店した「世界一食堂」の看板には豚丼の文字が記されている。当時の値段は150円。カレーライス60円、ラーメン50円に対し割高だった
 「豚丼は戦後、帯広の老舗食堂の創業者たちが切磋琢磨(せっさたくま)して、普及していった」。帯広中心部の田本食堂を経て、帯広市長になった田本憲吾さん(74)は振り返る。

 1926年(大正15年)に「新橋」熊谷善四郎さん、昭和に入り33年(昭和8年)に「ぱんちょう」阿部秀司さん、「世界一食堂」岡部陸さん、34年に「はげ天」矢野省六さん、36年に「金時」根岸又蔵さんが相次いで開業した。老舗食堂の今は亡き創業世代に共通するのは、洋食経験者であったこと。「気心知れた仲間」として、盛んに勉強会や情報交換が行われていた。

老舗食堂の創業者が切磋琢磨
 「ぱんちょう」が差別化を目指し、食堂から豚丼専門店になった55年(昭和30年)前後、「豚丼」は他店でも見られるようになった。西1南10にあった「世界一食堂」の2代目・岡部敏さん(76)は、「このころ、ぱんちょうの豚丼が食通の間で話題になり、『うちでもやってみよう』と出すようになった」と振り返る。

 「新橋」は、「ぱんちょう」の炭火に対し、フライパン焼き、カラメルを使った黒だれで特徴を出す。「はげ天」は炭と同じような軟らかさを出そうと、電気グリルを使った。2代目・矢野治夫さん(70)は「洋食出身だからか、古いしきたりもないし、いろいろ挑戦していた」と言う。

 「金時」の2代目・根岸豊さん(65)は「名前も『豚弁当』と、父は最後までぱんちょうに配慮した。創業者たちの間には互いに協力しても、専門分野は侵害しない暗黙の了解があった」という。

 「世界一食堂」は焼きめしと洋食、「金時」は中華、「はげ天」はてんぷら、「ぱんちょう」「新橋」は豚丼と、それぞれ専門化し、昭和の激動期を生き抜いた。

 創業者たちが所属していた「帯広飲食喫茶組合」で歴代組合長を務めた、藤森商会の3代目・藤森照雄さん(73)は「しょうゆ、砂糖、みりんと、使う調味料はみな同じだが、互いに工夫して、おいしい豚丼に育てていった」と語っている。
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