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豚丼物語 第一部 歴史編[1/4] “元祖”生んだ「ぱんちょう」創業者
十勝で生まれた「ぱんちょう」の豚丼
 「“豚丼食べたよー”って友達に言えば、帯広に行ったことが分かるでしょ」。江別市から来た酪農学園大学の女子学生は笑顔を見せた。連休中の今月2日、元祖豚丼の看板を掲げる「ぱんちょう」(帯広市西1南11)には、長い行列ができていた。

 豚丼。これを「ぶたどん」と読むのは、もはや当たり前になった。数年前は「とんどん、ください」と注文する本州客もいた。豚カツでもカツ丼でもない。豚ロースを炭火焼きし、しょうゆをベースにしたタレで甘辛く味付ける。豚丼は、いつ生まれたのか。

 さかのぼること70年。昭和初期の帯広はカフェ全盛期だった。人気を博したのは、東北海道一の豪華さと称された「静養軒」をはじめ「白楊食堂」「孔雀」「江口食堂」「カリカチ」など数え上げればきりがない。美しい女給やハイカラな食べ物を目当てに、医者や経営者など富裕階級が通った。

 その一つ「嬉し野」(同市西2南11)に、若きコックがいた。後に「ぱんちょう」を創業する阿部秀司さん(1906-86年)。函館出身、東京で洋食の修業を積み、伯父を頼って帯広に来た。

 33年(昭和8年)1月10日、中国語で「飯や」を意味する大衆食堂「ぱんちょう」を現在地に開業する。秀司さん27歳。名付け親は、当時十勝で最大の売上高を誇っていた北海道製糖(現日本甜菜製糖)の重役。「嬉し野」時代からかわいがってくれた。
阿部家に唯一残る創業者・阿部秀司さんの写真
忍び寄る戦争と不景気・・・生き残るためのメニューを
 「オムライスでしょ、それにカレー、親子丼、頼まれれば何でも出しましたよ。父が作るものはどれもおいしいと言われるのが自慢で」と長女の阿部幸子さん(70)は言う。

 腕は一級と評価されながらも、本格的な洋食を志さなかったのはなぜか。満州事変(31年)を経て、この年、日本は国際連盟を脱退。カフェは少しずつ姿を消し、帯広にも忍び寄る戦争と不景気の風を、敏感に読み取っていたからかもしれない。

 「何か特色あるメニューを出さなくては、生き残れない」。店を出したばかりで熱意に燃える阿部さんの目に飛び込んだのは、農家で飼われている豚だった。
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お食事処 ドライブイン大雪園

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