「ぱんちょう」守り60年 創業の教え次代へつなぐ 阿部さん

登録日時:2020/09/10 13:51 [ 豚丼ニュース ]

-2020年9月10日十勝毎日新聞紙面より-

 帯広市内の老舗豚丼店「ぱんちょう」を60年近く厨房(ちゅうぼう)で支えた、3代目の阿部孝之さん(80)は8月初め、医師の勧めもあり引退した。おいに当たる4代目辰巳博史さん(48)に店を託した。孝之さんは「創業した父から伝わる豚丼のたれの味を受け継ぐように、親から子、そして孫へとお客さんも続いていけば」と願う。(本田龍之介)

 孝之さんは、創業者の阿部秀司さん(故人)の7人きょうだいの次男として、1940(昭和15)年帯広市生まれ。帯広柏小、帯広第三中、帯広三条高を卒業。幼少期は、家業の食堂の様子を間近で見てきた。豚丼だけでなく、オムライスやカレーなども提供し、出前も頻繁にあったという。孝之さんは「よく岡持ちを持って出前を手伝った」と振り返る。その後、専修大を中退し、20代初めに店に戻り、父たちと休みなく働いた。

 「食」に並々ならぬこだわりのあった父から二つのことを守るよう言われたという。「支店を出さず一つの店でやること」と「子どもがおいしいと思える味付けで出せ」-。孝之さんは「成功した飲食店が支店を出しその後失敗することが多かったことを思えば、先の見えている人だった。子どもの汚れていない舌でおいしいと思ってもらえる料理を作る姿勢は、ずっと大切にしてきた」と話す。

 86年に父、2002年に2代目の兄健太郎さんが他界し、孝之さんが後を継いだ。味の良しあしなど全ての責任が双肩にかかる重圧を感じながらも、辰巳さんらとともに店を守ってきた。朝8時半ごろから豚肉を1人前ずつ切り分け、夜7時ごろまで働いた。正月や盆休みを除き、それを繰り返す毎日だった。

 忙しさに拍車を掛けたのは、同店の名物とも言える店外に並ぶ行列だ。約20年前からテレビや雑誌、海外メディアでも紹介されるようになり、国内外の観光客も足しげく訪れるようになった。

 終日、焼き台の前で立ちっ放しの孝之さんは近年、営業を終えると、足がむくんで靴に入らない日もあった。周囲が「痛みに強い人で我慢強いから入院するまで店に出る人」と評する通りだった。

 持病の悪化もあり、8月に引退を決断。8月4日を最後に厨房を後にした。引退後は家でゆっくり過ごす時間が長いといい、「今まで働いた分、自由気ままに過ごしてみようかな」と笑う。「家族が4代にわたって携わる店を作った創業者の父は偉大。店を去ったのは寂しいが4代目が一人でも頑張ってくれると思う」と話している。

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